Education

少し前の話。

職場の同僚と院内のカフェでコーヒーを飲んでいました。

私の帰国の日程が本格的に決まり、私も彼女も残りの時間を名残惜しんでいます。

 



 

「で、近い将来にアメリカに戻ってくる予定はないの?」

彼女が訪ねました。

「まあ、戻ってきたいとは思うけど、夫は日本でやっていったほうがいいだろうし、家族と離れ離れになるわけにはいかないしね。」

私は正直に答えました。

 

「でも、子供の教育の事を考えたら、アメリカの方がいいでしょう?上の子が高校生になるときに、子供達と一緒にこっちに戻って来たら?」

 

ちょっと強めの言葉に一瞬戸惑いましたが、

―― まあ、彼女の言う事も一理あるよなー。

と思いました。

子供の教育の為にアメリカに移住する人達

彼女はインド人で、20年程前に旦那さんと2人で渡米しました。

その後アメリカで働きながら、2人の子供を、世界ランキング10位前後の当大学に通わせました。

上の子はメディカルスクールに通い、医者になるべく日々勉強中とのこと。

 

彼女は自国を捨ててアメリカにやってきた、というわけではなく、とても両親想いで、親族の病気の事などもよく私に相談してきていました。

先日お父さんの体調が悪くなったときもすぐにインドに駆けつけ、必死に看病していました。

彼女は自分の家族や親戚が遠く離れている事で、いつも寂しい想いをしているそうですが、それでもアメリカで働きつづけるのは

「子供の為、というところが大きい」

そうです。

 

当大学では正規職員の家族は授業料が大幅に減額されます。

うちのラボはブラックラボという事で世界的にも有名で、彼女も「いまだに辛い事が多い」とこぼしていますが、それでも子供達が当大学で勉強できるよう、辞めるわけにはいかないといいます。

根底には、「アメリカの教育の方がインドよりも良い」という考えがあるようです。

 

彼女は決して稀有なケースではなく、同様の理由でアメリカで働いている同僚は他にもいます。

同室の中国人のポスドクは、「両親が3人の子供達の教育の為に渡米し、自分達が大学を卒業する頃に両親だけ中国に戻った」と話していました。

アメリカと日本の教育方針の違い

アメリカと自国の教育環境はどちらがいいのか、明確な答えはないと思いますが、私個人としては、自分の人生をかけてでも子供の教育のためにアメリカに移住する、という考えは理解できます。

それはアメリカの教育の方が進んでいるから、という類の理由ではありません。

 

私の場合、現在3人の子供達がアメリカの小中学校に通っていますが、アメリカの授業内容自体は、日本の授業よりもはるかに簡単です。

子供達は現在 Gifted プログラムにも入れてもらえるくらいアメリカでの学校の成績はよいのですが、日本のオンライン塾のテストの成績はそんなによくありません。

中学・高校受験の為に、より複雑でひねった問題をひたすら解いている日本の子供達は、アメリカの単純なテストをみて驚くと思います。

これはアジア全体の教育環境として言える事だと、中国、韓国、インドの同僚達と話をした時に言われました。

アジアの子供達は、みんなかなり難しい問題を解いて勉強しており、より良い大学に入れるように、一日の勉強時間も相当長いようです。

 

では、それが大人になったときにどれほど活きてくるか、というところなのですが、子供の頃に大量に時間を使って難しい問題が解けるようになった事が、必ずしも将来の能力に結びついていないような気もしています。

私は学生の頃、受験勉強が楽しく、その時の知識と経験が後の人生にも活きているな、と感じていますが、私の周りには受験勉強を嫌っている人達も多かったです。

そして、大学に入るとそれまで犠牲にしてきた時間を取り戻すかのように遊び、「学ぶ事の楽しさ」をあまり感じないままに社会人になり、仕事をこなすために違う内容を勉強し直さなければならなくなった人達も多いんじゃないか、と思います。

 

 

一方、「一つ一つの問題が簡単」と私が表現したアメリカの教育はどうなのかというと、単に授業内容が遅れているというわけではなく、

「将来、必要とされる能力を伸ばす事」

に重点を置いている印象が強いです。

具体的には、「論理的思考力」と「創造力」、そして「発信力」です。

 

例えば、子供達の英語(日本では国語に相当)の授業内容を聞いていると、

「それは客観的事実(Fact)なのか、その人の考え方(Opinion)なのか」

という事をしつこく考えさせています。

子供達同士の会話のなかでも「それはあなたの opinion でしょ。」という言葉がよく出てきます。

また、人前で発表する時に重要なポイントである、利き手が理解しやすい論理構成、視点の合わせ方、説得力のある話し方などを細かく指導され、一つ一つの項目についてフィードバックを受けています。

 

算数を例にあげると、日本ではかなり難しい計算が要求される事も多いですが、アメリカの学校では計算機を使います。

テストも計算機の持ち込み可で、日本では覚える事が必須の公式も、テストの問題文の中に書いてあります。

 

ある日中国人の同僚が、「基礎知識も大事だから」と自分の子供に元素記号を覚えさせようとしたところ、その子から

「こんなのは調べたらすぐわかる事なんだから、私の memory storage を、これを覚える事に使わせないで。」

と言われたそうです。

 

 

またこちらでは、「システム作り」に非常に力を入れている印象があります。

これは例として適切かどうかわかりませんが、例えば Art(日本では図画工作)の時間。

アメリカでは、先生から

「まず、有名な画家さんや上手な人の真似をして描きなさい。十分に真似ができるようになってから初めて自分の描きたい絵を描きなさい。」

と指導されるそうです。

私は日本の小学校の図画工作の時間は大好きでしたが、先生からは

「自分の感性のままに、自分の描きたいように描きなさい。」

というような事を言われていました。

当時の私は美術の基礎も何もわからないまま、ただ自分の思うままに絵を描きましたが、完成した絵はどれも自分の納得するものではありませんでした。

「上手な人の真似から入る」やり方が正しいのかどうかは議論の余地があるかもしれませんが、

少なくとも最初は上手な人の真似をした方が、描く上でのポイントが先にわかって効率的だと思います。

それらのポイントを習得してから初めて自分の感性を磨く ―― 学校でただ画材とテーマをポンっと渡されるだけより、ずっと教育的な気がしました。

日米の教育環境の違いをみて私が思うこと

以上のような例を元に、誤解を恐れずに私の意見を述べると、

日本の教育では、個人の努力が要求され、難しい問題が解けるようになるために遊び時間を削ってでも勉強し、「個人の能力の容量を増やす」事を求められますが、

アメリカでは、「個人の能力の容量には限界がある」という事を理解し、その容量内で、将来役に立つ能力を効率的に身につけさせるシステム作りに重点を置いている気がします。

 

で、実際にアメリカで働いてみて、私は

「アメリカの教育を受けてきた人達は、仕事を遂行する上での重要なポイントを尽く押さえている」

と感じる事が多いです。

私が臨床医や研究者として働き始めた頃に一人で躓き、悩み苦しみ、自力で勉強し直して、手探りで少しずつ習得していった数々のポイントを、この人達はもっと前の段階から既に習得していた、と思う事が何度かありました。

 

うちのラボに勉強しにくる大学生達は、毎日本当に頑張って働いていて、カンファでも学生という事に怖気づかず、鋭い質問をたくさんしてきます。

私の大学生時代では考えられないくらいのレベルの高さです。

私が部活と受験勉強にほとんどの時間を費やしていた中高生時代、一人暮らしを始めて遊び呆けていた大学生時代、その間彼らは、社会で活躍する為の能力習得を目的とした教育を受け、ビジョンの明確な教育システムの中で、将来に向けて必要な事柄を着々と学んできたんじゃないか、と感じる事がよくあります。

 

日本人は勤勉で、子供の頃からとても良く勉強し、大人になってからもとても熱心に働きます。

私は、その「努力と根性」が現実社会と違う方向に向かっている事も多く、もったいないと思う事が多いです。

もしアメリカの教育システムが日本でももっと浸透すれば、もともと勤勉な私達日本人の仕事の質は、格段にあがるのではないかと思うのです。

 



 

私は教育の専門家でも何でもないので、上記の内容は、アメリカの職場と子供達の教育環境を数年垣間見ただけでの意見になります。

これらは一般人の感想の域を出ませんが、海外から渡米してきた同僚達と話をする限り、私のような考えを持つ人は少なくないように感じています。

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