strategic-friendship

以前、このブログに書いた事がありますが、私には職場に苦手な人がいました。

どれくらい苦手かというと、部屋のドアを開ける時「中に彼女がいるかも」と思うだけで、心拍数が上がり、冷や汗が出るくらい。

 

ただ、彼女がとても性格が悪く意地悪なのかというと、そうではありません。

 

彼女はラボの古株ともいえるような人物の一人で、日本だととっくに定年を迎えている年齢になっても、ここで働き続けています。

彼女はこのラボにくるポスドク達が、最初ここでどう立ち回っていくべきかわからずみんな辛い思いをするのを知っているので、

まさしくその状態で窮地に陥っていた私の夫をみていられず、

隣の席の私に向かって、「彼はあんなんじゃだめだ」と毎日のように説教……もとい、アドバイスしてくれていたのです。

 

ただ、私の立場からすると、

夫は私から何か言われて自分の行動を変えるような人ではないので私に色々言われても困るのと、

夫が本当は色々考えているのに、それを英語でうまく表現できないので彼女やPIには彼の凄さが伝わっていない感じがして悔しいのと、

彼女の言い方がとても高圧的なので、丁寧な物言いを尊重する日本からやってきたばかりの私にはかなりヒドイ言われように感じるのとで、

「お願いだからもう話しかけないで。」

という心境でした。

 

また、彼女はマウスの脳内にタンパクetc.を接種する手術を一手に担っており、毎日色々なポスドク達が手術依頼の調整に彼女の元を訪れるのですが、

やはり高圧的で、すぐイライラしたりよく怒鳴ったりしていたので(彼女は中国人の同僚とは中国語で話すのですが、そのイントネーションが余計に激しい喧嘩のように聞こえてしまいます)、

隣の席にいるHSP(highly sensitive person)の私は、自分が怒られたわけでもないのに、いつもビクビクしていました。

 

今は、COVID-19のソーシャルディスタンスのどさくさにまぎれて部屋を移動したため、彼女と毎日顔を合わせる機会はなくなりましたが、

どうしても彼女と2人きりになるシチュエーションがあります。

それが、「手術」の時です。

 

 

彼女は手術はしてくれるのですが、必ずアシスタントを要求します。

彼女は麻酔と脳内インジェクションの部分だけ担当して、それ以外の、ペーパーワーク、薬剤の準備、セットアップ、剃毛、麻酔から覚めるまでの状態確認などは全てアシスタントがしなければなりません。

普通はそのポスドクについているテクニシャンがやってくれるのですが、私のテクニシャンは辞めてしまったので、全て私一人でアシスタントする必要があります。

脳内インジェクションなどは、私も夫も日本のラボでやっていたので、機器さえ使わせて貰えれば自分達でぱぱっとやってしまいたいところなのですが、

ここではそれは許されません。

 

「連日彼女と手術室で2人きりとか、私、耐えられるんかな。」

と、手術前はかなり不安になっていました。

 

手術初日

そんな気持ちで迎えた手術初日、

私の不安をよそに、彼女はとても機嫌よく手術室に入ってきました。

(アシスタントが彼女よりも後から手術室に入ると機嫌が悪くなるので、私は予定時間の1時間半前にラボについてソニケーションなどの準備を終わらせ、手術室のセットアップを行っていました。)

「最近どう?子供達は元気?」

彼女はニコニコしながら色々世間話をしてきました。

「あなたにはいつも関心しているのよ。子供が3人いて大変なのに、凄くよく頑張ってると思う。凄くモチベーションが高いし。このプロジェクトもきっとうまくいくわ。」

彼女は久しぶりに話すのがとても嬉しいようで、私の近況について次から次に質問してきました。

 

こういう時、私はよく「日本人で良かったな。」と思います。

相手の言動で嫌な事があっても、私はできるだけそれを表に出さず相手を不快にさせないように努めるのですが、それは日本の文化と教育の賜物なんじゃないか、と思います。

「本音と建前を使い分ける」というのは、時にあまり良くない結果を産む事もありますが、

少なくともこのラボで私が使ってきた建前は実によくworkしていて、

私が彼女の事をどんなに苦手に思っているか、本人には伝わらないでいてくれているように感じました。

 

 

ただし、その和やかな雰囲気も、手術が始まると何度もピリピリムードになりました。

私がアシスタントの手順に慣れておらず、セットアップの順番を間違えて彼女の手術の流れが滞ってしまうことが数回おこりました。

彼女は何度か声を荒げ、そうでなくてもイライラするのがヒシヒシと伝わってくるくるので、私は何度か部屋を出たくなりました。

でも彼女は言いました。

「あなたは今日が初めのアシスタントだからまだ色々慣れてないのよね。すぐに慣れるから大丈夫よ。」

 

 

私はとてもしんどい気持ちになっていましたが、頭の中では、「7つの習慣」に書かれていた「主体的である」の章をを反芻していました。

 

「彼女が怒鳴るのは、私がちゃんとできていないから。

<彼女は私の事が嫌いなわけじゃないんだから、彼女の要求に私がちゃんと応えられていたら、彼女も声を荒げる事はないはず。

明日の手術は、彼女から言われる前に予測して行動できるようにしよう。」

私はそう自分に言い聞かせ、動きの手順を何度も頭に叩き込みながら、アシスタント業務を遂行しました。

 

2日目

翌日、手術2日目。

私は同じく手術の1時間半前(6:30am)にラボに到着し、アシスタントが担当する部分のセットアップを完了させ、アシスタントマニュアルを読み返していました。

予定時間の8:00amに手術室に入ってきた彼女は驚いて、

「もう準備が終わっているの?たくさんやることがあったはずなのに、凄いね。」

と言いました。

そして、手の洗浄をしながら、

「時間が余っているんだったら、インジェクションシリンジの洗浄をやっておいてくれる?そうしたらもっと早く手術が始められるから。」

と私に依頼してきました。

手術が始まるまでのセットアップには結構色々な工程があり、アシスタントと術者がそれぞれの担当するセットアップを行うのですが、

彼女が術着に着替えたりしている間に、彼女の担当の分のセットアップを依頼された形になります。

 

私は、

―― 彼女の担当部分は触られたくないのかと思っていたけど、単に時間短縮のために自分でセットアップしていただけだったのか。
それだったら、彼女を待っている間にももう少しできることがあるな。

と思いながら、シリンジの洗浄を行いました。

試しに、

「明日も早く準備が終わったら、シリンジの洗浄までしておこうか?」

と聞いてみると、

「それは助かる!早く手術が始められて、その分早く終わることができるから、あなたにとってもいいでしょう。」

という返事が返ってきました。

 

 

私の予測としては、麻酔薬の調整とインジェクションマテリアルの充填などは他に任せられないパートだと思いましたが(彼女は元麻酔科医なので、麻酔薬の調整にはかなりこだわりがあります)、

それ以外はアシスタントがやっても嫌がらず、むしろ喜んでくれるんじゃないかと思いました。

また清潔野の作り方についても、彼女のこだわりポイントさえ押さえておけば、私が先にその状態を作っていても大丈夫なんじゃないかと思いました。

 

そこで、私は彼女の手術が終わって帰った後、術野を写真にとって、清潔シートの覆う範囲や、マウスを固定するテープの長さなどを記録しました。

そして、翌日使う薬剤のうち常温保存の分の薬剤をシリンジに充填し、翌朝の仕事量をできるだけ減らした状態にして帰宅しました。

 

3日目

3日目の朝も、予定時間の1時間半前に到着してアシスタント担当分のセットアップを行いました。

自分の担当分が終わると、私は意を決して、彼女の担当分のセットアップを始めました。

―― 一歩間違うと彼女の逆鱗に触れる可能性がある。

と思いながら、私は慎重に作業を進めました。

 

そして予定時間の8:00am、彼女が手術部屋に入ってきました。

彼女はシリンジが洗浄済みの箱の中に置かれている事、術野が既に出来上がっている事に気づき、私に言いました。

「これ、全てあなたがやったの?」

 

私は恐る恐る答えました。

「うん。時間が余ってたから。気に入らなかったらごめんなさい。全部やり直してもらって構わないから。」

彼女は、

「凄い、パーフェクトよ!ありがとう。」

と言い、いつもより30分ほど早く手術が始まりました。

 

私は、

―― 気に入ってくれてよかった。できたら次もこうしておこう。

と思いながらアシスタント業務を遂行しました。

 

手術が終わって私がマウスの術後管理をしていると、術着を脱ぎながら彼女が言いました。

「もし次も同じ事をしてくれるなら、の話なんだけど……」

 

彼女は、自分はドラフトの排気口もシートで塞ぐようにしているとか、PCを置く場所は避けて斜めにシートをかけるようにしている等、私の気づかなかったこだわりポイントを教えてくれました。

手術を始める前は、「パーフェクト!」と言っていましたが、やはり私はこだわりポイントをミスしており、パーフェクトではなかったようです。

けれども私の心意気を買って、何も言わずに手術を始めてくれていたようでした。

 

私は、

「教えてくれてありがとう。」

とお礼を言って、彼女のこだわりポイントを全てメモしました。

 

4日目

手術も4日目になると、アシスタント業務も慣れてきて、彼女が声を荒げる事はなくなりました。

また、術者担当分のセットアップについても今回は特に指摘されることはなく、手術の工程はとてもスムーズに進みました。

 

彼女は終始ご機嫌で、私に話しかけてきました。

「あなたには本当にいつも関心しているのよ。3人の子供がいて……。モチベーションが高くて……。」

その話の内容のほとんどは初日からあまりかわりばえせず、おなじ話を毎日リピートしているような感じでしたが、私は

―― まあ、他に話すネタもないよなー。でも、彼女が嬉しそうでなにより。私の精神状態にとってもなにより。

と思いながら、おばあちゃんの話を聞く孫のような感覚で、彼女の話を聞いていました。

 

 

と、突然彼女が、

「これから帰国までの間にも手術の予定があるんでしょ?」

と尋ねてきました。

 

私は、

「うん、これこれこうで、あと○○匹くらいの予定なんだけど、後で計画書を送るね。あなたの都合に合わせてスケジュールを調整してもらったらいいから。」

と答えました。

 

すると途端に彼女の表情が曇りました。

「〇〇匹?そんなにたくさん予定しているの!?」

私は、

「でも、あと半年の間で総合したらって話だよ。3クール必要だから、1クールは△△くらいで……」

と答えようとしましたが、彼女は私の話を遮って言いました。

「手術が必要なのはあなただけじゃないのよ!Aも○○匹っていってるし、Bも○○匹予定しているし、Cもこれから大きなプロジェクトが始まるから○○匹以上は必要だし、云々……。」

彼女はさらに続けました。

「それに私はもうだいぶ年をとってて、いつも背中が痛いし、朝は起きてから毎日ストレッチをしないと腰と股関節が痛くて歩けないのよ。
私の母はもう90過ぎてて私が世話をしてあげないと母の健康状態も心配だし、云々……。」

 

私は

―― あー、しまった。地雷を踏んでしまった……。

と、自分の発言を後悔しながら彼女の捲し立てを聞いていました。

 

―― PIはここでバッチを作ってから後でサンプルを日本に届けてくれるって言ってたけど、もうこれは日本に帰ってから新たにバッチを作った方が良さそうだな。

と思いかけたとき、一通り話し終えた彼女は、落ち着きを取り戻して言いました。

 

「でも、私は、あなたをできるだけサポートしたいと思っているのよ。
あなたは本当にモチベーションが高いし(←本日5回目……)、
私としては、できるだけあなたのプロジェクトを優先させてあげたい。
私がなんとかするから、本日中に計画のアウトラインを送ってくれる?」

 

という事で、彼女は予定している手術を全て遂行すると約束してくれました。

 

 

私は彼女に感謝しました。

自分で手術できると言っても、プレリミ手術は既に彼女がしてしまっていて、術者が変わると手術内容にも細かな違いが色々でてくると思うし、

帰国後は色々忙しくて、いつ手術が開始できるかわかりません。

それに、色々自負しているだけあって、彼女の手術の腕は確かです。

 

 

その後も、私は彼女と実験計画について話し合い、色々内容を修正したり、細かなアドバイスを受けたりしました。

 



 

まだ彼女と話すときは「地雷を踏まないように」とドキドキしていますが、

少なくとも、彼女の存在に怯えて逃げるような生活はなくなりました。

帰国までの私の目標の1つでもあったので、ちょっと達成できてよかったです。

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