Drift into the Sunset
断書

本記事は、少し前、私の身近な人が他界する前後に書き溜めていたものです。

遺族の許可を得て投稿しておりますが、ここに書かれていることはすべて私の主観を元に書かれている点をご了承ください。

なお、遺族より紹介された追悼記事で、本記事に関連する事柄が記載されているリンクの1つをこちらに貼っておきます。

 

PIと夫と3人でミーティングが行われてから数日が経過し、私は相変わらず限られた時間を駆使して実験していました。

と、携帯に通知が届き、表示されたメールを見て手が止まりました。

 

それは、PIから、私と夫、他数人のスタッフに向けて送られた短いメールでした。

Just a quick note to let you know that life support will be removed from him tomorrow so that he will drift into the sunset in his own pace.

 

私は自分の目を疑いました。

通常、"life support を外す" という事は "延命を拒否する" という事を意味しており、生命維持装置を外された彼が辿る道は一つのように思われました。

 

先日の話では、彼はまだ意識があり、奥さんの声掛けに答えていたと聞いていたので、そんな人の life support を外すという事は可能なのか?(日本では、生命維持装置無しで生きられない人のそれを外す事は禁じられています。)

それとも私の英語の解釈が間違っているのか?

……何度もその文面を読み返しましたが、毎回一つの結論にたどり着きます。

 

その時はすぐ返信する事ができず、子供たちが寝てからPCの前に座ってもう一度彼女からのメールを読み返しました。

 

なんと送ったらよいか最後まで迷いましたが、

なかなかその事実を直視できないけれども、彼女にとっての方が何倍もつらい決断だっただろうこと

彼のためにそれを選択した彼女に敬意を表したいこと

自分にできることは殆どないが、何かできることがあれば何でもするつもりでいること

常に二人のために祈っていること

などを書きました。

 

するとすぐに返事がきて、

彼にはまだ意識があり、この決断は夫婦二人で決めたこと

この方法で、彼は、最愛の奥さんと実弟に見守られながら、彼のペースで進んでいけること

などが書かれていました。

 

 

―― やっぱり強い人達だな。

と思いました。

私が同じ立場だったら、同じ決断ができるかどうかわかりません。

彼らは、ここ何十年間常にそうしてきたように、最期まで二人で相談し、二人で決断しました。

 



 

翌日、夫は自宅でデスクワークをするというので、私は一人で車を運転してラボに向かいました。

空はよく晴れていて、すれ違う人たちはいつもどおり忙しそうに歩いていました。

 

けれども私の目は、何かいつもと違う事を探していました。

ちょっと道路が混んでいたら、

「今日はいつもと違う事が起こる日だから、こんなに混んでいるのかな。」

と、意味もなく関連付けようとしている自分がいました。

 

 

ラボについてもあまり実験する気になれず、私はお昼に予定されていたミーティングまでデータ整理をしていました。

けれども、具合の悪そうな私を見て、同僚から

「今日はもう帰って休んだ方がいいんじゃない?」

と言われ、結局「体調が悪い」と断りを入れて、ミーティングには出ずに家に帰る事にしました。

 

 

帰り道、どこまでも続くかのような青い空を眺めながら、私は彼の事を考えていました。

 

個人ミーティングの最後に、彼は必ず

「ここでの生活は楽しめているか、何か困っていることはないか?」

と聞いてきていました。

 

夫と3人でミーティングがあったある日は、

「僕は君たちが大好きだ!」

と言って、笑いながら両手を広げてくれました。

背の高い彼が広げたその長い腕と広い掌は、そのまま一度に二人とも包み込めてしまうんじゃないかと思うほど大きく感じられました。

 



 

翌朝、彼が亡くなったという連絡を受けました。

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