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断書

本記事は、少し前、私の身近な人が他界する前後に書き溜めていたものです。

遺族の許可を得て投稿しておりますが、ここに書かれていることはすべて私の主観を元に書かれている点をご了承ください。

 

Co-PIが亡くなった次の週から、PIがミーティングに出席するという連絡がありました。

そして次週、朝から全体ミーティングがあり、みんなは少し緊張して待っていました。

開始時間が来たので、「そろそろ始めようか」と言ってミーティングが始まったちょうどその時、

ドアを開けて彼女が入ってきました。

 

久しぶりに皆の前に姿を現した彼女は、以前と同じ様に鋭い指摘をしながら、真剣に話を聞いていました。

ミーティングが終わると、彼女はスタッフ達に残るように指示し、私達は部屋を後にしました。

「元気そうでよかった。」

皆はそんな話をしながら自分たちの持ち場に戻りました。

 

私は彼女の事が心配ではありましたが、おそらくこれからキャッチアップに忙しいだろうし、たくさんの支えてくれる人たちがいるだろうし、しばらくは彼女と話せる機会はなさそうだな、と思いながらラボに戻り、自分の実験を再開しました。

 



 

実験が一段落して、動物施設に向かおうとラボを出たとき、廊下の向こう側からPIが歩いてくるのが見えました。

私はドキドキしましたが、いつものように「Hi」と声を掛け、

向こうもいつもの笑顔で「Hi」と返してきました。

 

ちょうど彼女の部屋に続く分岐の前だったので、私は立ち止まって道を開けようとしました。

すると彼女も立ち止まり、「来週あたりに話そう」と言ってきました。

 

私は一瞬ドギマギして、「プロジェクトの事かな。でも……」と、PIを見つめました。

するとPIは、私の言いたいことを察したかのように、

「I'm OK.」

と言いました。

そして、そのまますっと私に近づき、突然私を強く抱きしめました。

 

 

「あなたも辛かったでしょう。」

 

絞り上げるようにそう言った、彼女の声を耳元で聞きながら、

私は何と言ったらよいかわからず、ただただ強く彼女を抱き返しました。

私の背中に回した彼女の腕に、更に力が入るのを感じました。

どれくらいそうしていたかわかりませんが、私にはとても長い時間に感じられました。

 

 

「彼はあなたのことが本当に大好きだった。」

 

彼女は上げた顔の涙も拭かず、両手で私の手を握ったまま言いました。

「彼はあなた達2人の事がとても好きだったけど、特にあなたの事が大好きだった。

あなた達は本当に素晴らしい。
私と彼の関係にそっくりだし、3人の子供もいて大変なのに、本当に凄いと思う。

この間も話したけど、あなたには絶対に成功してほしいし、そのためにできる限りのサポートをしたい。

あなたならアメリカの方が成功しやすいと思うけど、日本で頑張るんだったら、あなたがどれだけ凄いかという事を日本の皆にわかってもらわないといけない。

そのためには、もっとスピークアップして、目立つ必要がある。

私も、皆を振り向かせるために、たくさんグラントを獲って、いいジャーナルに論文を出して、否が応でも注目してもらうように頑張ってきた。

あなたも同じ様にして皆の注目を集めるのよ。

彼もあなたが成功することを、心の底から望んでいたわ。」

 

私はどのように答えたのかよく覚えていませんが、彼女の言葉に頷きながら、彼女の涙を眺めていました。

 

 

「さ、次はサイエンスの話をしましょう。

来週あたりになるかな。後で秘書にミーティングの時間をセッティングしてもらうからね。」

 

彼女はそう言って、笑顔で自分の部屋に戻っていきました。

 



 

動物施設に向かいながら、私は2人の事を考えていました。

込み上がってくる思いはほとんどが後悔でした。

 

私は2人から好かれているだろうとは思っていましたが、ここまで考えてくれていたとは想像していませんでした。

 

Co-PIはミーティングでいつも褒めてくれいて、セミナーで外から講演に来たスピーカーたちにも毎回私の仕事を紹介したりしていましたが、

私は

「そんな取り上げるほど面白い内容かな。」

くらいに思っていました。

 

以前5Kのイベントの件で、彼から

「君はチャーミングなのにちょっとシャイだから、もっと前に出て、皆を盛り上げてしてほしいんだ。」

と言われた時も、

「アメリカ人は、人を煽てて仕事をさせるのが上手だな。」

くらいにしか思っていませんでした。

 

「もっと個人ミーティングの頻度を増やさない?2-3週間に1回とかどう?」

と言われた時も、実験時間の確保などを理由にやんわりと断っていました。

「こんな事なら、個人ミーティング、もっとたくさんしてもらっていたらよかったな。」

と思いました。

 

そして一番の後悔は、2人がここまで考えてくれていたにも拘らず、自分は何度かラボを移ろうと考えていた事でした。

私の頭の中は、夫が自分のサイエンスをここでうまく発展できなかったことや、私も自分のしたかった事を思い切ってアピールできず、言われたことをこなすだけで時間が過ぎていっているような気持ちなどに支配されていました。

ラボの機器やプロトコールが古く、ゲルやELISAも全て手作りで時間を取られる事も不満でした。

また、誰かがもっと効率的なプロトコールや、より特異性の高い抗体の使用を提示しても「これじゃ今までのデータとの比較ができない」という理由でほとんど却下されるのを見て、進化する時代からここだけ取り残されているような気にもなっていました。

 

けれども、私が彼らから学んでいた事は、サイエンスの細かなテクニックよりももっと大切な事、

人としてのあり方、人の心を動かす力、人と自分の力を引き出しシナジーを生み出していくことの素晴らしさでした。

 

 

―― どうしてもっと早く気付けなかったのか。

 

 

以前、夫がPIに嫌われていたプロジェクトを続けたいと言って、Co-PIから「そんな事に時間を使って、君の今後キャリアはどうなる!?」と諭された時、

「立場の弱い夫に対して、今後のキャリアに言及してやめさせようとするなんて」と残念な気持ちになりましたが、今なら、彼は本当に夫のキャリアを心配して発言していたのだとわかります。

 

 

私は今まで失礼な事は言ってこなかったと思いますが、彼らから受けてきた御恩に対する感謝の気持ちは明らかに少なかったと思います。

今、湧き上がるこの想いを伝えたくても、彼と話すことはもう二度と叶いません。

 

 

「……結果で返すしかない。」

 

彼が望んでいた事を叶えるためにも、私はこれから常に考え続け、ひたすら努力していこうと思いました。

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