
前回書いた記事は、私が70歳くらいになるまでは保護の状態にしておこうと思います。
本記事の為に平たく説明すると、私は大学院生の時、最初は帰国後に配属される予定のラボ(直ラボ)に所属していましたが、ちょっと困っていました。
その後、どのような経緯でコアラボChairまで話が伝わったのかはわかりませんが、ラボメンバーのほとんどが国際学会で留守にしていたある日、突然Chairに呼ばれ、別の建物のラボ(別ラボ)に急遽異動するよう指示がありました。
その目的は「私を護るため」で、実際私も自分だけでは対処できなさそうだと判断し、Chairの指示に従って別ラボへ移りました。
その際、誰かを刺激したり、変な方向に噂が広まったりしないよう、私からは余計なことを話さないよう指示があり、
私は直ラボの上司や同僚達に、今までお世話になったお礼も、突然ラボを異動することでご迷惑をかける事に対するお詫びも十分に出来ないまま、直ラボを去りました。
当時WW1直前のセルビアのようだった(と私が感じていた)直ラボでは、私の異動を契機に様々な出来事が起こり、ラボ内外は大変な混乱状態となりました。
残った直ラボメンバーの方々は、今の平和な雰囲気を作りあげる為に大変な努力をされたのではないかと思います。
ただ、私は本当に色々な人達から護られていたようで、別ラボに異動した後、私のところには、数件の攻撃メールくらいしか届いておらず、その間、直ラボやその周囲でどんな事が起こっているか、直接情報が届く事はありませんでした。
私は、皆さんに護られていたお陰で、別ラボで研究に集中することができ、その時の功績を買われて、大学院卒業後、コアラボのポスドクとして働くよう、Chairから指示がありました。
コアラボは直ラボの隣にあったので私はかなり気になりましたが、もうあの時からメンバー構成もだいぶ変わっているし、現在の直ラボで自分の事がどのように噂されているか全く知る手立てがなかったので、私は異動の話を受け、コアラボでポスドク研究員として働きました。
結局そのコアラボでも一生懸命働き、Chairからは高い評価を受けました。
そしてその3年後に、私はアメリカにやってきました。
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私は、コアラボで働いていた3年間、コアラボのメンバーとは特に確執のようなものはなかったと思いますが、隣の直ラボのメンバーが自分の事をどう思っているかは全くわかっていませんでした。
だいぶ後になって、直ラボの元メンバーに話を聞くと、
「メンバーの国際学会の留守中を見計らって、私がChairに直訴したんじゃないか、と思っている人もいた。」
と教えてもらいました。
人のイメージという者は強力なファクターで、ネガティブなイメージがあれば、その人のどんな言動もネガティブに捉えられてしまいます。
過去の話を断片的に聞いた人達は、あまりの内容に絶句したかもしれません。
その状態で私が笑っているのを見れば、「何も知らなかったかのように、よく平気で笑えるな。」と思った人もいるかもしれません。
私が何か目立つ行動をとったり評価されたりすれば、「あれだけ直ラボに迷惑かけていて、よくそんなにガツガツ仕事できるな。」と思われたかもしれません。
Chairの指示に従ってラボを異動した後、そのまま大人しく学位をとり、そこで研究を終了して、どこかの病院で臨床医に戻っていれば、皆さんの気持ちをそこまで逆撫でする事もなかったかもしれません。
けれども、私は目の前の仕事を、研究を頑張ってしまいました。
その結果、せっかく別の建物に移っていたのに、卒業後に直ラボの近くまで戻る事となり、遂に今回、その直ラボに配属される、という事態となりました。
4人でのオンラインミーティングの後、「大変な仕事を他の人に安易にお願いし、その後の感謝も足りない」という印象の具体例を直ラボの現PIに教えてもらいましたが、どれも大した内容ではなく、
主人からは、「中学生の会話かってゆーレベルの話」と形容されました。
例えば私と一緒に働いていた人が時々時間外まで働いたりしていたのをみて、私が大変な仕事を安易な気持ちで押し付けている印象を持った、と言われました。
その人は私から見てもとてもモチベーション高く働いていましたが、私自身は、時間外まで働かないようにお願いしていました。
けれども、少しでも時間がとれると私のところにやってきて
「他にできることはありませんか。」
と聞いてきて、とても活き活きと働いているように感じていました。
その人とは旅立ちの前に個人的にお礼の会を設けましたが、
「先生と一緒に働けて本当に楽しかった。今度機会があればまた是非一緒に働きたい。」
と言ってくれていました。
けれども、そのような私達の関係が、隣のラボのメンバーから見られた際、私に対するネガティブイメージを増長する事になっていたとは、全く気づいていませんでした。
これからは当人同士の信頼関係だけでなく、周囲から見られた際の印象についても考慮する必要がある、という事になります。
そこまでは当時考えていなかったので、今回、具体例を教えていただいた直ラボの現PIには大変感謝しました(普通は教えてくれないと思います)。
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今回、直ラボPIとコアラボChairから話を伺ったお陰で、
「自分は直ラボに何も貢献したことがなく、むしろ多大な迷惑をかけてきた人間であるにも拘わらず、技術補佐員の資金援助などの大きなお願い事をしていた」
という事に気づく事が出来ました。
今回正直に教えてもらえず、そのようなバックグラウンドを考慮しないまま行動していたら、大変な事になっていたことでしょう。
とりあえず、帰国後はゼロからではなく大きなマイナスからのスタートとなりそうですが、
まずは実験を進めるよりも、全ての基盤であり、私が最も重要視している「対人関係」に注力する必要がありそうです。
技術補佐員の採用は最低2、3ヶ月遅らせて、まずはせっかくもらった週半日の時間を、直ラボ一人一人のお話を伺い、自分を知ってもらう時間に宛てたいと思います。
イメージの悪い私に対して、皆さんがどれくらい忙しい時間を割き、心を開いて話してもらえるのかわかりませんが、「できるだけやってみて、それでも関係修復が無理そうなら諦める」という事で、自分を納得させました。
気になる現プロジェクトの進行についてですが、これはある程度諦めざるを得ないように思います。
とりあえず、
- これから帰国までの間は共同研究先の実験に全力を尽くし、実験ができなくなる前までに必要なデータを共同研究先に送ってしまうよう、努力する事
- 自分主体のプロジェクトは、今のPIに「帰国後半年間外病院で臨床医として働く事になった」という事を正直に話し、理解を得られるよう努力する事
などを短期目標としました。
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目標を決めたことで、少しは気持ちが落ち着きましたが、
「このまま心が折れてもいいんじゃないか。」
という気持ちも完全には拭えません。
「自分はここまで頑張ってきて、これからも頑張ろうとしているけれど、そこまでして頑張る意味ってあるのかな。」
と問いかけてくる自分がいます。
現PIの
「あなたはアメリカで研究を続ければ、必ず成功する。」
という言葉も、頭から離れません。
先日、思わず「心が折れそうなときの対処法」という言葉をGoogleで検索しました(一番は寝る事だそうです)が、まあ、だいぶ心が弱っているという事なのでしょう。
「神は乗り越えられる試練しか与えない」
……本当ですか?神様。