
「もう僕は研究をやめようと思う。」
そう宣言してから、彼は彼の穏やかさを取り戻し、私や子供達にも、以前のように優しく接するようになりました。
反対に、私の心はどんどん沈んでいき、彼の目を見て話すのがしんどいと感じるようになりました。
何かが決壊したのかもしれません。
このラボに来て最初に、彼と私、PI、Co-PIの4人で話をしたとき、PIから
「私がここであなた達に学んでほしい事は、Good Questionを大切にしてほしいという事。」
と言われました。
彼が尊敬していたPIからそのように言われ、私は常に「Good Question」を探す努力をしてきました。
けれども、私の考えたGood Question達はなかなかGOサインをもらえずにいました。
それからしばらくして、私はCo-PIの方から、「今のプロジェクトの片手間に、僕が考えたプロジェクトも進めてほしい。」と言われ、仕事を任されるようになりました。
私にはその仕事は「Good Question」とは思えませんでしたが、「PIもすばらしいプロジェクトだと言っている。」という言葉を受け、我慢してその仕事を並行してこなしてきました。
一方で、彼の方は、PIとCo-PIから非難されながらも、自分が重要だと思ってきたプロジェクトをなんとか理解してもらおうと努めてきました。
このプロジェクトは、最初のうちはラボ全体を驚かせ、PI達からも評価されていたのですが、こちらで実験を続けるうち、このラボで発表してきた結果を否定する結果がでるようになりました。
この前後から2人の態度は急変し、PIからは意味のない研究だからもうやめろと言われ、Co-PIからは今後のキャリアに言及されたり、研究の本質とは関係ない所で毎回難癖をつけられて、それを別の実験で証明しなければなりませんでした。
彼は難癖をつけられた部分を証明する実験に日々の時間を費やし、彼が希望する実験はさせてもらえませんでした。
最終的に彼は折れてその仕事をまとめ、終わらせる事にしました。
その後も彼は自分で色々調べ、このラボでできる研究を考え続け、基礎データを集めていました。
彼はそれらのデータを時々私に見せては、意見を求めてきました。
彼は「Good Question」かどうかというよりは、「彼らが気に入って、ここで実験をやらせてもらえる内容の範囲内で、自分も面白いと思える事」を念頭において計画を練っていました。
私にはそれがちょっと悲しかったですが、今の現状で理想論を説いても潰されるだけなので、現実を見据えて最善の策をとっているのだと思いました。
事態が悪化した(と私が感じる)のは数週間前の事でした。
彼はPIとCo-PIから呼ばれ、Co-PI主導の次のプロジェクトを提案されました。
その内容は、私にはとても「Good Question」とは思えませんでした。
けれども、こちらに選択権はないようで、彼らはどんどん話を進め、彼も「自分でプロジェクトを提案するより、彼らのいうとおりに動いていた方が軋轢が生じなくていい。」と言って、承諾しました。
私達は日本でフェローシップを獲ってこちらにきており、彼らに雇われているわけではないのですが、そのような道理が通じる相手ではありません。
結局、彼がここ数カ月間考えてきた研究内容は、彼らに提案して是非を問う機会のないまま、埋もれることになりました。
私は、せっかく家族でアメリカまできて、私はともかく彼まで、そこまで重要と思えない実験に時間を費やし、そのまま期限が過ぎて日本に帰ることになるかもしれないと考えると、悔しく思い、自分の実験にもあまり意欲を持って取り組めなくなりました。
彼にとってみれば、自身の置かれている状況も辛いし、妻からは正論だけを言われて、耐えられなかったと思います。
今まですぐに苛ついて不機嫌さを私にぶつけてきていた彼は、だんだん言葉数が少なくなり、自室や寝室に籠るようになりました。
そして先日、彼は「自分は鬱かもしれない」と私に伝えてきました。
その時の私は、彼の今の精神状態が普通でないという事を彼が認めてくれて、安堵しました。
そして、「研究をやめる」と宣言してから、彼は元の穏やかな彼に戻り、子供達とも笑顔で会話をするようになりました。
私はもう1人で子供達を守らなくてもよくなったのです。
では、なぜ私の心は沈み、彼と一緒にいるのが辛いのでしょうか。
今まで、彼は立ち直り、また素晴らしい研究を始めると信じて、私は彼に疎まれ、傷つきながらも毎日彼を支えようと頑張ってきました。
と同時に、私は今まで自分がしてきた仕事も、とても大切に思ってきました。
アメリカにきて、十分な育児支援のない中、自分の時間はほとんどなくなりました。
わずかな時間を確保できそうな時も、すぐ不機嫌になる彼の目を気にして仕事や勉強ができずにいました。
私は、彼が不機嫌になる要因を最大限に減らそうと、今まで以上に家事育児に力をいれ、温かい雰囲気づくりに努めていました。
いつか彼が立ち直れば、自分が仕事をしていても彼は不機嫌にならずに、前のように応援してくれる、そう自分に言い聞かせ、自分を鼓舞してきました。
けれども彼が出した結論は、「研究をやめる」という事でした。
夫が研究をやめたからといって、妻までやめなければならないと堂々という人は、今の時代ほとんどいないでしょう。
私の夫もそういう人ですし、今まで家事や育児を率先して手伝ってくれていました。
けれどもその前提に、「妻は仕事をしてもよいが、それは家事育児をしっかりとこなしたうえでの話だ。」という考えがありました。そしてその「しっかりとこなす」の基準が、普通よりもかなり高く設定されているように感じていました。
今までは2人で協力して研究に費やせる時間を捻出していましたが、彼が研究をやめるという事は、その時間も捻出できない可能性が高くなるという事です。
また、彼は「夫は、常に妻の前をいく存在であるべきだ。」という考えを持っていると、常に感じていました。
自分が諦めた「研究」を、自分の妻が続けていて、心穏やかに過ごしていけるでしょうか。
最初のうちは理解を示していても、だんだん疎ましく思ってくるように思います。事実、この数か月間がそうでした。
少なくとも、これまでと同じように自分の研究内容を彼に相談したりする事は、難しくなっていくでしょう。
先日、
「私にとっての優先順位は家族であり、その為には他を諦めても構わない。」
と自分に言い聞かせたばかりでしたが、いざ現実のものとなると、やはり辛いです。
今までのきつい言葉や態度に耐えて頑張ってきた事に対する見返りが、私が大切にしてきた仕事を奪う事かと思うと、彼の目をまともに見れなくなりました。
勿論、彼自身はそんなつもりはないと思いますが。
彼からは、自分が鬱かもしれないと認めた日に、初めて短い謝罪の言葉をもらいました。
今までほとんど感謝や謝罪の言葉を口にしてこなかった彼にとっては、精一杯の言葉だったと思います。
けれども、今の私にはそんな彼の背景を思いやる余裕も、なくなってきたようです。
言葉が足りないと感じますが、彼にこれ以上の言葉を求める事もできません。
そんな気持ちで過ごすうち、私は自分の仕事をしたいという気持ちもなくなり、ただ1人で過ごしたいと思うようになりました。
少し前の彼がそうであったように。
文章にする事は、自分の気持ちを整理するのによいツールだと思います。
しばらくは模索し、藻掻く日々が続きそうです。
けれども私には助けてくれる人達がいます。
ブログという形で公開する事を、しばらく躊躇していましたが、やっぱり公開することにしました。
色々な人達に助けを求めながら、自分の力で抜け出せるよう、力が残っているうちは藻掻いてみたいです。