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毎週日曜日には、教会のミッショナー夫婦がボランティアで主催してくれている英語教室があります。

内容としては、聖書を読んで質問に答えたりディスカッションしたりする、というもの。

英語の勉強というよりは、ほぼほぼ聖書の勉強といった感じですが、

人とディスカッションするのは好きだし、自分の研究と違うテーマを勉強するのは新鮮なので、私は毎週楽しく参加させてもらっています。

 

先週は、新約聖書 Mark の Chapter 5:1-6:6 で、邪悪な霊にとりつかれて気が狂った男の人とジーザスが出会った場面でした。

邪悪な霊達はジーザスを恐れてその男の人から出て、近くで飼育されていた豚達に乗り移ります。

その直後、2000頭の豚が一斉に丘を駆け下りてそのまま湖に飛び込み、全頭溺れ死んでしまいます。

そして霊から開放された男の人の方は正気を取り戻し、ジーザスに跪く、という内容のお話でした。

 

関連のある verses を読んだ後、ミッショナー達は自分の見解を話してくれました。

気の狂った男の人は、その奇妙で危険な行動によって周りの人から忌避されていましたが、

ジーザスが彼を助けるために2000頭の豚の命を犠牲にしたことに2人は着目し、

「どんな人に対しても別け隔てなく、ジーザスの愛は深いのだ」

と言われました。

 

しかしながら、私の心はそのために犠牲になった2000頭の豚の方に向いていました。

彼らは何も悪いことはしておらず、ただ近くで草を食べていただけです。

―― どうしてその豚たちを2000頭も犠牲にしなければならないのか?

―― 人間1人の命は、豚2000頭の命よりも本当に尊いといえるのか?

 

そんな感じの意見を述べながら、私は、その数日前に自分に感じていた、遣る瀬無い気持ちを思い出していました。

 



 

その日は、私のメンターである Co-PI が亡くなったという知らせがラボを駆け巡った翌日の事でした。

私はその少し前から実験する気持ちになれず、前日と前々日の2日間、自宅で過ごしていましたが、

ふと術後7日目のマウスをサクリファイスしなければならないことを思い出し、重い腰を上げてラボに向かいました。

 

術後7日目にサクリファイス予定だったマウス達は術後9日目になっていたので、私は動物施設からマウスを運ぶとすぐにサクリファイスを始めました。

 

マウスに麻酔をかけながら、

―― 私は何をやっているんだろう……。

と思いました。

 

自分の身近な人の死をこんなにも悲しみながら、一方で、何の罪もないマウスを次々とサクリファイスしていく……自分の行動に矛盾を感じずにいられませんでした。

 

このマウス達は、産まれたときには既にケージの中にいて、外の世界を知りません。

お父さんもお母さんもケージの中で生まれ育ったので、外の世界がどうなっているか教わることもありません。

普通に兄弟姉妹と過ごし、ある時期にオスとメスに分けられ、時にインフォームド・コンセントのない手術を受け、そしてある日いきなり殺される事になります。

 

COVID-19のワクチン開発についてもそうです。

パンデミックとなってから2年も絶たずにワクチンが実用化されましたが、そのワクチンが開発、検証されるために、どれだけの数の実験動物達が犠牲になったかわかりません。

そのお陰でCOVID-19による重症化・死亡症例は劇的に減少し、たくさんの人々を救う事になりましたが、

そのために犠牲になった動物達の死をどれだけの人が省み、感謝したでしょうか。

 

そんな事を考えるからといって実験の手を止めるわけにはいかないのですが、

自分の心境と行動の矛盾に対する答えを見いだすことはなく、結局は妥協点のような話で自分の心に言い聞かせる事になります。

 



 

結局、先の1人の男性と2000頭の豚の話も、ミッショナー達と私とで納得のいく答えを出すことはできませんでした。

(人間は神から特別に作られたという教えを信じるキリスト教の人たちと、子供の頃から輪廻転生の概念をそれとなく聞いて育ってきた私とで、この話から受ける印象が異なるのは当然の事だと思います。)

 

けれども、

大切な人が亡くなった事に対する私の悲しみは本物で、それに対して他の人の死や動物の死と比べる必要はないのだ……

という事だけは確かだと思いました。

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