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断書

本記事は、少し前、私の身近な人が他界する前後に書き溜めていたものです。

遺族の許可を得て投稿しておりますが、ここに書かれていることはすべて私の主観を元に書かれている点をご了承ください。

 

Co-PI逝去の連絡を受けた日、私はラボを休み、一日自宅で過ごしました。

翌朝も

―― しばらくは何もする気になれなさそうだなー。

と思ってぼんやりしていましたが、ふと、術後7日目のマウスのサクリファイスをしなければならなかった事を思い出しました。

ほぼ2日間実験しなかったので、マウスは術後9日になっていました。

―― やば、今日はサクリファイスしないと。

ということで、重い腰を上げてラボにやってきました。

 



 

1日経っても、ラボメンバーはCo-PIについてずっと話しており、故人を偲んでいました。

私はその会話にあまり入りたくなかったので、隅の方で静かに実験していました。

 

ベンチの隣にはディスカッション顕微鏡があり、今にも彼がふらっと現れて、

「一緒にスライドみようか。」

と言ってくるような気がしました。

 

窓の向こうを見やると、遠くに建設中のビルが見えました。

「あのビルができたら、そこの37階に引っ越すんだ。今住んでいることころは階段が急で危ないって言われてるからね。
今度の部屋は階段がなくて広いんだ。
それに高いから街が一望できるし、この大学の建物も見えるんだよ。素敵でしょ。」

彼はラボに立ち寄るたびに、窓の外のビルを指し、嬉しそうに話してくれていました。

 



 

しばらくぼーっと窓の外を眺めていると、

「面白い症例があるけど、見る?」

と、声をかけられました。

 

声をかけてくれたのは、Co-PIの直属で働いていた、同僚の J でした。

彼はブレインバンクの管理を任されながら、病理の研究でたくさんの論文を出していました。

そんな彼は、珍しい病理所見があると、必ず私に声をかけてスライドを見せてくれていました。

 

「うん。」

 

今回彼が見せてくれたスライドは、1987年に「非典型的ピック病+アルツハイマー病」と診断のついた症例で、

そのスライドをタウ/Aβ/α-Syn/TDP-43でそれぞれ免染し直した所、歯状回にTDP-43細胞質凝集体にそっくりのタウ凝集体があり、同じ場所にTDP-43凝集体もたくさん見える、というものでした。

 

TDP病理とAD病理の合併はよく見ますが、通常はタウ病理様の形態のTDP-43病理が見える(TDP-43 Type β)事が多く、「タウが primary で TDP-43 が secondary」と考えられる事が多いです。

ところがこの症例では、「TDP-43 が primary でタウが secondary に induce されている」可能性を示唆しており、各蛋白の病理メカニズムを考える上で非常に面白い症例でした。

 

「この症例、当時の病理診断医はCo-PIなんだ。」

彼はそう言って、1987年の病理所見を見せてくれました。

 

その当時はまだ免疫染色はなく、HE染色とボディアン染色とチオフラビン染色だけで診断をつけていました。

そこには、

歯状回に非典型的なピック球様の異常構造物がある。

という記載があり、当時TDP-43抗体もタウ抗体もなかった頃に、歯状回のTDP-43&タウの凝集体を上記の染色だけで同定し、所見として書き残されていると思われました。

 

「免染のなかったこの時代にここまでちゃんと見つけて、所見として残していて、凄くない?」

彼は言いました。

「僕たちは、彼の偉大な遺産をしっかりと受け継いで、さらに発展させていかないとだね。」

 



 

ラボからポスドク部屋までつづく廊下の、その両側の壁には、このセンターの軌跡を説明するかのように、PI と Co-PI の過去のインタビュー記事やマイルストーン論文等が貼られています。

若い頃のPIはとても美人でCo-PIはハンサムだなーと、私はよく立ち止まって、彼らの写真を眺めていました。

 

その日も実験が終わってラボを出ると、廊下に彼らの写真がありました。

 

―― 僕たちは、彼の偉大な遺産をしっかりと受け継いで、さらに発展させていかないとだね。

 

写真を眺めながら、私は J から言われた言葉を思い返し、それから少し足早に廊下を後にしました。

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