昨日は長い一日のように感じました。
研究室のPI(Principal Investigator、つまりボス)にこれからの研究計画(Research Project)のプレゼンをしました。
私は海外学振のフェローシップを獲ってきているので、通常はその時申請したプロジェクトを実行していくわけですが、
ここにきた時点でフェローシップの申請時から1年半が経過し、その間に世の中の研究は進むので、さらに旬な研究テーマを考えなければなりません。
日本にいたときは、かなり自由に研究させてくれていたので、このようなシチュエーション(PIの前でプレゼン)に緊張することはないのですが、このラボはPIがとても厳しい事で有名なので、かなり緊張します。
前回は、最初から彼女の機嫌が悪く、激しい口調で否定されたうえ、「聞くに値しない」的な感じで、途中で退席されてしまいました。
(この年になると、ある程度の批判や蔑みにも、自分なりに対処して前にすすむ事ができるようにはなりましたが、元が傷つきやすい性格なので、2日くらいは落ち込んで思考が停滞しました。)
今回は最後まで話を聞いてくれて、とりあえずこれから数カ月の間にすることは決まったので、私にとっては及第点といった感じです。
言い方はきつい人ですが、彼女の主張には共感できるものがあります。(そうでなければきっと耐えられないと思います…今までに何人ものポスドクが数カ月で辞めているそうですし…)
大切な事は
Good Question
- 世界の人達を振り向かせるような良いQuestionを常に大切にすること。
- 私達は人の神経変性疾患を扱っているので、常に人の病態病理に沿っているかを意識して研究を進めること。
- そして、いいプロジェクトであれば、どんな方法を使ってでもとことん追求しようとする姿勢であること。
あと、(直接言葉にはしませんが)彼女の日ごろの言動からはもう一つ重要視している事があると感じています。
それは
Cost-effectiveness(つまりコスパ)
- お金、試料、時間、労力、を最小限に抑えながら研究を進められるかどうか。
- 研究者が研究できる年月は限られている。本当に重要だと思う研究に自分の時間と労力を注ぐべき。
(この考えには、ノーベル賞受賞者たちの間でも賛否両論の意見を聞きましたが、また機会があれば別に書いてみたいです。)
あまり最先端の技術を使わないこのラボでは、できることが限られる事も多いと感じます。
けれども、そんなに特殊な技術を使わずして、このラボでは設立後30年近く、定期的に3大誌(Nature, Cell, Science)やその姉妹誌に論文を掲載しています。
それらの論文を読むと、源流に彼女のこのような信念が流れているように感じます。
夫と私は、それらの論文の内容に唸り、このような事を考える人というのは日ごろどのように考えを巡らせて研究しているのだろうかと興味を抱き、この研究室の門戸を叩いたわけです。
(一方で、実際にきてみると、このラボの全ての研究者が唸る内容の研究しているわけではないことも感じましたが…これはまだ謎です。)
異なる言語、異なる文化、異なる慣習の環境に飛び込み、私生活も研究生活もスタートで躓いてばかりですが、
あとから振り返った時に
「生みの苦しみだったね。」と言えるか
「いい経験にはなったね。」と言うことになるか
はたまた「時間を浪費したね。」となってしまうか(これだけは避けたい…)
まだわかりませんが、今はまだ僅かに残る心の火を消さぬよう、淡々と目の前の出来事に対応していきたいと思っています。