最近、ある総論を書いているのですが、レビューアーとやり取りをしながらちょっと切なくなっていているので、その理由を徒然なるままに書いてみます。
総論の内容
ペリサイトについて
総論は、ペリサイト(pericyte, 周皮細胞)と呼ばれる微小血管の壁細胞と神経疾患の関与について、というテーマで書いています。
ペリサイトは、主に毛細血管にあり、内皮細胞の外側、アストロサイトのendfeetの内側で、基底膜に埋め込まれるような形で存在しています。
このペリサイトは、
- 血液脳関門(Blood brain barrier: BBB)の維持や血管新生に寄与したり
- 炎症サイトカインを出して免疫系細胞と連携をとったり
- 幹細胞のようにふるまったり
と、色々ユニークな細胞ですが、
特に注目されている機能の一つに、
- 血管径および脳血流(cerebral blood flow: CBF)の調節
という機能があります。
この血管径およびCBFを調節する細胞が、ペリサイトかどうか、またペリサイトが位置する血管はどこからどこまでか、というのが、その分野で喧々囂々議論されてきました。
私の理解している範囲で歴史を説明すると、
ペリサイトは、1870年代にEberthやRougetなどがその存在を報告(Eberth, 1871; Rouget, 1873)し、1923年にZimmermannが「pericyte」と定義しました(Zimmermann, 1923)。
Zimmermannは、
「毛細血管から細動脈に移るにつれ、ペリサイトは徐々に平滑筋細胞(smooth muscle cell: SMC)の性質を持つようになり、細動脈上にある血管平滑筋細胞との間にはっきりとした境界線を区切るのは難しい」
としながらも、
その移行部の壁細胞まで含めて「pericyte」と定義しました。
そして、ペリサイトの存在する血管は、細動脈、細静脈の移行部分も含めて、
- pre-capillary arteriole(前毛細血管細動脈)
- capillary(毛細血管)
- post-capillary venule(後毛細血管細静脈)
までであるとし、
それら3種類の血管に存在するペリサイトをそれぞれ
- pre-capillary pericyte(前毛細血管細動脈周皮細胞)
- capillary pericyte(毛細血管周皮細胞)
- post-capillary pericyte(後毛細血管細静脈周皮細胞)
と定義しました。
(細動脈・細静脈になるとペリサイトはなくなり、血管平滑筋細胞が血管中膜を構成するようになります。)
そのころから、ペリサイトには収縮能がある事が示唆されていましたが、その後、ペリサイトに収縮能がある/ないといった報告が相次いであり、議論が続けられていました。
CBFに関しては、それまで主に細動脈にある血管平滑筋細胞が、細動脈径を変化させて毛細血管系の血流調節を担っていると考えられていましたが、
その後、ペリサイトも神経活動に合わせて毛細血管径を変化させ(neurovascular coupling)、血流調節を行う事が示されるようになりました(Peppiatt et al., Nat, 2006; Hall et al., Nat, 2014) 。
また、脳梗塞や心筋梗塞の患者さんの中に、血栓で詰まった血管を再灌流させても、その先の毛細血管の血流が回復せずに大きな梗塞巣となってしまう現象(no-reflow phenomenon)がありますが、その原因としてもペリサイトが注目されました(Yemisci et al., Nat Med, 2009; Hall et al., Nat, 2014)。
報告された論文によると、no-reflow phenomenonのメカニズムとして、動脈や細動脈部分の血栓により血流が途絶えると、毛細血管に位置するペリサイトが収縮して血管を絞めつけ、血栓を除去して元の部分の血管を再灌流させても、ペリサイトによる血管収縮は解除されず、支配領域に血液が流れないという事でした(Yemisci et al., Nat Med, 2009; Hall et al., Nat, 2014)。
ところがある日、「CBFを調節するのはcapillaryにあるペリサイトではなくて、pre-capillary arterioleにある血管平滑筋細胞だ」と主張する論文が出ます(Hill et al., Neruon, 2015)。
血流調節はペリサイトじゃなくて血管平滑筋細胞?
丁度このころ、私はペリサイトについてシンポジウムで話した事があります。
この時、「ペリサイトが血流調節をする」という事を紹介したのですが、
その直後に講演したDr.が、冒頭で
「さっきペリサイトが血流調節するって話がありましたけど、血流調節をするのはペリサイトじゃなくて、pre-capillaryにある平滑筋細胞なんですよ。」
と訂正してきました。
私がその論文を紹介しなかったのは悪かったですが、
「私の紹介した論文達もしっかりと現象を示していたし、1つの論文を根拠に『その情報は間違っている』かのように話すのはいかがなものだろう。
『こーゆー事を言っている論文もあるし、それに反対する論文も最近出ている。』と説明するのが、最も妥当なんじゃないかな。」
と、ちょっと腑に落ちなかったのを覚えています。
「ペリサイト」と「ペリサイトが存在する血管」の定義
話を戻すと、
「pre-capillaryにある細胞はペリサイトではなくて血管平滑筋細胞だ。」
という人達が現れた事で、「ペリサイト」と「ペリサイトが存在する血管」の定義について、色々な意見が出てくるようになりました。
二光子顕微鏡によるin vivo imaging技術が進んだことで、微小血管の定義を、「血管径や構成細胞の形態およびマーカータンパクの発現」に加え、「penetrating arterioleからの枝分かれの回数」が考慮されるようになりました。
前述のとおり、細動脈から毛細血管の境界をつけるのは難しく、penetrating arterioleから枝分かれした最初(論文によっては第1–4枝)の血管上にある壁細胞は、ペリサイトっぽくはありますが、α-SMAタンパクを多く発現する等、血管平滑筋細胞の特徴も兼ねそろえています。
これを「pericyte」と呼ぶか「血管平滑筋細胞」と呼ぶか、「その中間の細胞」と呼ぶか…またその細胞が存在する血管は「capillary」と呼ぶべきか「pre-capillary arteriole」と呼ぶべきか…
研究者達の間で意見が分かれ、各々の定義に従って研究が進められ、論文が発表されました(Grant et al., JCBFM; Smyth et al., J Chem Neuroanat, 2018; Arango-Lievano et al., Cell Rep, 2018; Kisler et al., Nat Rev Neurosci, 2017; Dalkara et al., Stroke, 2019; Hartomann et al., Neurophotonics, 2017; Yang et al., Current neuropharmacology, 2017)。
結局、細胞や血管の定義は違っても、penetrating arterioleから枝分かれした最初の血管あたりが神経活動や虚血に対して最も感受性が高く(Fernandez-Klett et al., PNAS, 2010; Hall et al., Nature, 2014; Hill et al., Neuron, 2015; Cai et al., PNAS, 2018; Khennouf et al., Brain, 2018)、これを色々な名前で呼んでいるだけ……ともいえるのですが、若干の違いは、
この血管を「capillary」でこの細胞を「pericyte」と呼ぶ人達は、mid-capillaryにあるペリサイトにも血管調節能があると報告し、
この血管を「pre-capillary arteriole」としたり、この細胞を「血管平滑筋細胞」と呼ぶ人達は、mid-capillaryにあるペリサイトには血管調節能はない、と報告する傾向にあるようでした。
レビューアーとのやり取り
ペリサイトは毛細血管(capillary)だけ?
私は、できるだけバランスのある総論を書きたいと思って原稿を作成したのですが、最初の投稿で、
「ペリサイトはcapillaryにしか存在しないから、pre-capillaryという言葉は混乱を招く。すべてcapillaryに変更するように」
とレビューアーから指摘されました。
私は「あれ?」と思って再度文献を調べました。
ある総論では、
「pre-capillaryという言葉は誤解を招くので言及を避ける。Zimmermannが最初に定義したように、ペリサイトはcapillaryとvenuleに存在し、血管平滑筋細胞のある細胞は全てarterioleとする(Attwell et al., JCBFM, 2016)」
のように書かれており、別の総論では、
「Zimmermannは最初にpre-capillary arteriole, capillary, post-capillary venuleにあるそれぞれの細胞を、pre-capillary pericyte, capillary pericyte, post-capillary pericyteと定義した。(Krueger and Bechmann, Glia, 2009)」
と書かれてありました。
Zimmermannの論文を調べる
同じ「Zimmermannの定義」と言っているのに、その見解が論文によって異なるのはなぜでしょうか?
その答えはZimmermannが最初に定義した原典にあると思い、大学の図書館で、およそ100年前の彼の本を入手しました。
この論文はドイツ語で書かれていたので、そのままでは私には読めなかったのですが、幸い今の時代には良質な翻訳アプリが色々あります。
私は Google translate の力を借りながら、図書館に籠って論文を解読しました。
そこでわかった事は、
「Zimmermannは100年前、微小血管の壁細胞を、血管平滑筋細胞までの移行部分の細胞も含めてすべて『ペリサイト』と定義し、
さらに
- pre-capillary arteriole(前毛細血管細動脈)
- capillary(毛細血管)
- post-capillary venule(後毛細血管細静脈)
にあるそれぞれの細胞を、
- pre-capillary pericyte(前毛細血管細動脈周皮細胞)
- capillary pericyte(毛細血管周皮細胞)
- post-capillary pericyte(後毛細血管細静脈周皮細胞)
と名付けていた」
という事でした。
つまり、Hill et al.の
「pre-capillary arteriole上の細胞は血管平滑筋細胞だ」
とする主張は確かにZimmermannの最初の定義に反していますが(←これに関しては概ねコンセンサスとなっていると思います)、
レビューアーet al.の
「pericyteはcapillaryにしか存在しない」
という主張も、Zimmermannの最初の定義には反しているということです(←これに関しては知らない人がいるように思います)。
「Zimmermannの定義」を掲げるのであれば、
「ペリサイトはpre-capillary arterioleにもcapillaryにもpost-capillary venuleにもあり、それぞれ特徴が少しずつ異なる、と最初に定義された」
と紹介すべきだと思いました。
このことをなるべく丁寧に記載し、原稿も修正して再投稿しました。
レビューアーを怒らせる
ところが、この事はレビューアーを益々怒らせました。
「Zimmermannは移行部分の細胞もすべて含めて『capillary pericyte』と定義したんだ。すべて書き直さなくてはアクセプトする事はできない。
『pre-capillary arteriole』という言葉を使う事は、Grutzendler達のグループの主張(Hill et al., Neuron, 2015)を認める事になってこの分野の世界に混乱を招く。
図表から『pre-capillary arteriole』という記載をすべて消去し、この部分にあるペリサイトの名称で平滑筋細胞という言葉が入っている名称をすべて消去するように。」
という返事が返ってきました。
このレビューアーは、Hill et al.の論文によってよっぽど嫌な目にあったのかもしれません。痕跡を消す事まで要求されるとは思っていませんでした。(Hill et al.の使った言葉だけでなく、他のグループの研究で使用した言葉まで消すよう言われたわけです。)
アクセプトされないと辛いので、言う通りに書き換えようと試みたのですが、「post-capillary venule/post-capillary pericyte」はそのままなのに「pre-capillary arteriole/pre-capillary pericyte」だけ消すのは気持ちが悪いし、偏った総論になる気がして、何度も手が止まりました。
自分の間違いを見つめなおす
まず、私の間違いは、penetrating arterioleから枝分かれした最初の血管を「1. pre-capillary arteriole」、それ以降の血管を「2. capillary」と区分して記載し、それら全ての血管をcapillaryとして研究した論文を「2. capillary」のカテゴリーに入れてしまった事にあると思いました。
全てをcapillaryをして研究した論文は、penetrating arterioleの最初の枝の部分もその研究対象に入れているのに、mid-capillaryだけを対象にしているような誤解を生じさせるからです。
そのため、2回目の推敲では、項目を「1. arteriole」「2. capillary」「3. post-capillary venule」「4. venule」と区分し直しました。
そして、「2. capillary」の項目でそれらの論文を先に紹介したうえで、「2-1. proximal capillary」と「2-2. mid-capillary」という小区分を設け、それぞれの部位あるペリサイトの形態的・機能的特徴や発現マーカーの違いなどを紹介しました。
Figureもそれに合わせて血管の名称を変更し、それまで記載していた区分は小括弧を付けるなどして控えめにしました。
ただ、レビューアーから「消すように」と言われていた呼称は、結局残しました。その代わり、それぞれのペリサイトの呼称には、Figure内にもすべて引用論文を記載し、誰がどのように主張しているのかわかるようにしました。
またZimmermannの定義については、レビューアーが主張するように
「ZimmermannはペリサイトはCapillary(とvenule)にしか存在しない、と定義した」
と思っている人は多いと思うので(今回のようなことがなければ、わざわざ100年前のドイツ語の論文を確認する人は少ないように思います。)、
「Zimmermannの定義」を最初に紹介し、その後で「最近は混乱を避けるためにpre-capillaryという言葉を避け、この部分の血管は全てcapillaryとする傾向にある」と説明しました。
またレスポンスレターには該当部分の英訳を詳しく紹介し、原典をPDFでアップロードしました。
原稿とレスポンスレターの内容は上司に修正を入れてもらい、その状態で先日3度目の投稿をしました。
通常であれば、最初にレビューアー達から言われた内容はクリアしていると思うのですが(論文はレビューアー達の細やかな指摘のおかげでぐっと良くなりました)、
レビューアーの2回目の文章をみると、かなり心証を損ねているようなので、
「消せと強く言ったのに消してない。」
ととらえて再度修正を要求してくるか、
「もう我慢ならない」
とリジェクトにしてくるかもしれません。
そこはかとなく切なくなっている理由
レビューアーはかなりこの分野に精通していて、たぶん大御所なんだろうと思います。特定のグループを名指しで非難するところをみると、それによって自分の研究活動に支障をきたし、嫌な思いをしたのかもしれません。
ネット上に落ちている情報をみていると、これに関して定期的にセミナーやシンポジウムもやっているようで、彼の意見がこの分野のコンセンサスみたいになっているのかもしれません。
そのような人からみたら、名も知れぬ若造が、最近の流れもわからず、ズレた主張をしているように映るのかもしれません。
今のラボでは別の事をやっていますが、ここでは、ラボが今まで積み上げてきた研究結果を覆しかねない内容は、PIから激しく罵倒されてお蔵入りになります。その時のPIの口癖は、
「私はこれを20年以上やってきた」です。
勿論、その人達を納得させられないデータだったり、根拠だったり、説明だったりするのであれば論外ですが、データや根拠がしっかりしていて、他の人達が納得していても、その言葉が出てきて、”period” となる事もあります。
以前のラボでは、上司はみんな
「とりあえず最後まで話を聞き、その中で合理的な部分は認め、そうでない部分は意見する。」
という感じの環境でやってきたので、最初は上司のポスドク達に対する対応の違いに驚きました。
最近は慣れてきて、話す相手からの信用の度合いによって、その都度言葉や話の内容を使い分けるようにしています(そうするとサクサクと物事が進みます)。
別のラボの教授が、あるノーベル賞受賞者の言葉を教えてくれました。
「研究の入り口って、ある程度誰でも思いつくんだけど、出口を見つけるのは誰にでもできるものじゃないんだよ。だから、最初のうちはPIとか、経験豊富な人の意見を聞いておいた方がいいよ。」
との事。
なるほど、往々にして、PIとか、偉い人たちには、自分には見えていないものが見えているものなのでしょう。
例えば自分の子供が、数年間生きてきただけの知識の範囲内で物事を考え、それが正しいと思って意見してきても、その数倍の年月を生きてきた自分からみたら、
「まだまだ限られた知識内でしか考えられていないな。」
と感じるものです。
たぶん、今の私も、その子供達と同じような立場にあるのかもしれません。
ただ切ないのは、
「大人たちがどこまで広く深い背景知識から自分に物を言っているのか、大人側から納得のいく説明がなければ、限られた情報内で子供がそれを推量するのは難しい」
という事です。
そのため、自分はどう考え、行動すべきなのか、何度も迷い、まっすぐに進めずにいるように感じます。
定義って、時と場合によって変わるよね
いろいろ話がずれましたが、今回の
「ペリサイトと血管の定義」
に関して、私の立場だけからみると、
数年前は
「血流調節をしているのは血管平滑筋細胞でペリサイトじゃないんだよ。」
と聴衆の前で訂正され、
今回は
「血流調節をしているのは全てペリサイト。血管平滑筋細胞を連想させる言葉は混乱を招くから全て排除しなさい。」
と言われ、
「『定義』って、時と場合によって変わるよなー。」
と、しみじみ思いながら、コーヒーを啜る今日この頃なのでした。