長女(小5)と次男(小2)は、小学校で音読の宿題があります。
毎日、国語の教科書を広げ、授業を受けているお話を大きな声で読んでくれます。
長女の現在のお話は、「大造じいさんとガン」。
次男のお話は、「スーホの白い馬」です。
二人ともとても上手に読んでくれます。
特に次男は、スーホが馬と楽しく過ごしている場面では楽しそうに、王様が馬をとりあげるところはとても威圧的に、そして、馬が自力でスーホの元にたどり着き息絶えた時にはとても悲しそうにと、一生懸命抑揚をつけて読んでくれています。
私は彼の音読を聞きながら、
―― 小学校の国語の時間、この話は衝撃的だったなー。それまではのほほんとした話ばかり授業で習っていて、こんな「理不尽だ」と感じるお話を読んだのは初めてだったんだよなー。
と、自分の小学生時代を思い返しました。
この「音読の宿題」は、彼らが去年帰国した時から欠かさず続いていますが、上記のお話以外にも、教科書の内容が私の小学生時代とほとんど変わっていないことに驚きました。
「くじらぐも」や「ふきのとう」など、小学校低学年の頃に授業で習ったお話は、それから30年以上経った今でも、私の記憶に鮮明に焼き付いています。
きっと、この年代の子供たちの多くは、一生懸命授業と向き合い、教科書の内容や先生のお話に感動を受けることが多いので、その分だけ、各シーンが彼らの心に刻まれていくのでしょう。
毎日、精一杯に抑揚をつけて音読している彼らの記憶にも、これらのお話は焼き付いていくんだろうなー、と思いました。