「最近、PIがあなたの事を凄く褒めるようになったね。あなたはきっとこれからfamous*註1になるよ。」
と、古株の同僚から言われました。
確かに最近よく褒められるなとは思っていましたが、なんとなく気に入られたのかな?と思うくらいで、理由は自分でもよくわかっていませんでした。
けれども、ある日、後輩のポスドクに実験内容の相談を受けてアドバイスをしていた時の事—
「私もあなたを見習わないとと思っているの。
あなたは結果を急がず、ひとつひとつを丁寧に考えて、前提となる内容の実験結果を確実に出していっているでしょう。
だからPIはあなたをあんなに褒めるんだわ。」
と言われました。
「え、そうなの?」
と答えると、彼女は驚いたように
「自分で気づいてなかったの?」
と聞き返してきました。
それを聞いて、
「そっか、PIは確かに『みんなも見習うように』みたいな言葉も使っていたな。
”褒める” 事で、自分が大事だと思っている事は何か、私やみんなに伝えようとしていたんだな。」
と、カンファでの言動を思い返しました。
日本にいたときは、面と向かって自分の欠点を指摘してくる人は少なく、自分のいない所で陰口として話されるという事が常でした。
カンファなどでも、みんな言葉を選び、イマイチな内容でもとりあえず褒め、ダイレクトに貶される事はありません。
そんな環境でずっと過ごしていたので、何か褒められても、社交辞令か何かのように受け止めていて、あまり深く考えないようにしていました。
このラボのPIは、自分がダメだと思ったら、かなり強い言葉をつかって感情的に相手を貶し、相手がどう受け止めるかは気にしていないように見えます。
以前、プレゼント中に泣きながら部屋を出ていったポスドクもいたそうですが、彼女はお構いなしだったそうです。
最初は日本の慣習とのギャップに戸惑いましたが、
その時、同僚から
「どんなに貶されても、それはあなたの人格を否定しているわけではなくて、あくまで研究内容の事なんだから、個人攻撃ととらえないようにね。」
とアドバイスされました。
それを受けて、
「そっか。彼女は相手を傷つけないように言葉を選んだりせず、思った事がそのまま口からでてくるだけなんだな。」
と考え、プレゼン中に貶されても、PIが何を言いたいのか、何が大事だと思っているのかを探り、そこから学ぶよう心がけてきました。
すると、ある時を境に、自分のプレゼン内容を貶される事はなくなり、逆に不思議なくらい褒められるようになりました。
褒められたり、貶されたり、かなり両極端な待遇ですが、ここではどちらも普通の事で、どちらからも何か学べる事がありそうです。
この環境は結構特殊で、合わない人もたくさんいると思います。
けれども、私にとってはおそらく人生で最後の留学になると思うので、この環境からできるだけ多くの事を学べるよう、常にアンテナを張り、自分の成長の糧にしてきたいと考えています。
Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.
— Mahatma Gandhi (1869-1948)明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。
*註1: このときの "famous" の意味が良くわからなかったので、和訳しませんでした。