以前、「ラボをやめる」といきなり宣言した同僚の、勤務日最終日のお話。
「今日は私の最後の日だから、みんなでコーヒーでも飲みにいかない?」
と誘われました。
10人くらいのメンバーで院内のスタバに向かい、外のテーブルで小一時間ほど語り合いました。
改めてラボをやめる理由と今後の方針について彼女にきいてみると、
「私はもう実験はしないわ。医療関係の記事を書く仕事をする予定。」
とのこと。
優秀なのに勿体ないね、と私が言うと、
「みんなそう言ってくれるけど、私にはどうでもいいことだわ。
実験が楽しければ続ければいいし、楽しくなければやめればいい。
大学院生のときのラボはすごく自由で研究が楽しかった。
今は楽しくないと感じるから辞めた方がいいの。」
彼女は続けます。
「私から言わせてもらうと、アカデミアに残りたいと考える人達は、
『そのために嫌なことも全部我慢しなければならない』
と思っている人達が多いと感じるわ。
例えば、
『将来教授になる』
とかが人生の目標であれば、ここに残った方が良いと思うわ。
だってここのラボのネームバリューは抜群だもの。
このラボ出身といえば、誰もが一目置くはず。
でも、アカデミアに残りたいという強い希望がない私に、
このラボで毎日プレッシャーを受け続けるメリットがあると思う?」
彼女はとても話が上手で、説得力がありました。
つまりは、
人生の目標は多種多様で、アカデミアを追求するという事はそれらの選択肢の一つでしかない
という事だと思います。
そんな事は、改めて言われなくてもみんなわかっている事だとは思いますが、私は改めてアカデミアに残る事の意味について考えてみました。
ここのラボに留学してきた中国人のポスドク達は、みんなプライベートを犠牲にしまくって働いていますが、
彼らには、
「アメリカか故郷かのどちらかで自分のラボを持つこと」
という明確な目標があります。
そのためには、確かに多少嫌な事も我慢して、努力していたように思います。
けれども、私が在籍している期間にこのラボを離れたポスドク達は、
自分のラボを持つ以外にも、
製薬会社に移ったり、教育関係の仕事についたり、物書きの仕事についたり……と、
その後の進路は実に多彩でした。
「私が本当にしたい事は何だったかな……?」
その答えは、自分でわかっているような気もするのですが、
すっきりとは答えられませんでした。
思えば、私は物心ついたときから医者になりたいと思って勉強してきたので、中高の進路相談で困る事はなかったし、
研修医も修練医も、自分で就職先を選んで精進してきました。
脳神経内科の専門を決めるときも、大学院に入るときも迷いはなかったし、その後ポスドクとして働いていたときにも、明確な目標がありました。
今になってモヤモヤしているのは、それまでちゃんと迷ってこなかったからかかもしれませんが、
60歳とか80歳とかで迷い出すよりは良かったかもしれません。
人生の最期のとき、自分はどんなふうに死んでいきたいか……常に考えながら、今後の進路を決めていきたいです。