ある日の事、LINEに父親から短いメッセージが届きました。
私事ですが、先日の人間ドックで、以前から指摘されていた結節影が1年で2mm増加し、要精査となりました。
父親が癌になったと聞かされて
父は以前からCTで右肺尖部に1.3mmのスリガラス状結節影を指摘されてていましたが、胸部XP上では映らず、大きさも5年ほど変化なく、腫瘍マーカーも陰性だったので、年に一度の検査のみで経過していました。
それが今年急に増大し、悪性の可能性が高いという事で、要精査となったそうです。
1,2親等内での癌というのは初めてです。
精査の結果、父は肺がん疑いで手術を受けることになりました。
時間経過としては、LINEでの連絡が来てから約3週間で手術という流れになります。
父は循環器内科医ですが、母は医者ではなく保健師、弟妹の3人は全員医療関係外、という事もあり、私は何か役に立てればと、手術に立ち会うために一時帰国を考えました。
ところが、現在はコロナ禍。
日本に戻っても2週間隔離が必要で、その間に手術は終わってしまいます。
私は止む無くアメリカに留まり、その間は肺がんのガイドライン等を調べながら、父と母から交互に送られてくる情報だけを頼りに、手術の無事を祈るばかりでした。
以前、修練医として働いていた時、上司から
「留学は絶対に若いうちにした方がいいよ。
ある程度年齢が上がってから留学すると、その間に親御さんが病気になったりする可能性も上がってくるからね。」
と言われていた事を思い出し、私は
「まさしくその展開だな。」
と思いました。
手術は無事終了したけれど……
その後手術は無事に終わり、母から家族LINEに手術の無事と父親の様態についての報告が届きました。
子供たちはそれぞれ手術終了に対する安堵のメールを送り、私も一安心しました。
ところが、その直後、私の個人LINEに母からメッセージが送られてきました。
手術は無事に終わったんだけど、先生から気になる事を言われて……
右上葉と中葉の堺あたりに気になる部分があったから、それも切り取って検査に出しているそうです。
そして、その数日後に、再度母親から検査結果を伝えるメッセージが届きました。
検査結果は2個とも悪性でした 😭
あと、左肺にも陰影があるらしいです。
私が
それは3箇所別々の場所に癌があるかもってことですか?
と尋ねると、
そうみたいよ……。
お父さんは私以上に理解しているので、本当は不安なのだと思うけど、普段どおりにしていました 😢
とのこと。
私は動揺しました。
それまでは、1.5mm程度の右肺尖部に1箇所の癌で、リンパ節転移も遠隔転移もなしと思っていたのですが、母からの情報が確かなら肺内転移の可能性が出てきて、病期も変わってきます。
私は立て続けにリンパ節転移の有無や遺伝子検査などについて質問してしまいましたが、
それ以上詳しい事は、母からはわかりませんでした。
その日は母にゆっくり休むよう伝え、翌日、父親に直接LINEで聞いてみました。
父は冷静
日本時間の翌朝、父親に連絡すると、彼からは次のように返ってきました。
中葉の上の方にあったスリガラス陰影で、精査の時初めて指摘された小さなものです。
私や人間ドックの先生は見過ごしていました。
腺癌ですが、転移もないようなので、経過観察の方針になると思います。
術後経過は概ね順調ですので心配は要りません。
更に私が病理結果などについて尋ねると、以下のように返ってきました。
両方とも病理的には上皮内癌で、執刀医の先生によると多発することも珍しくなく、5年10年のスパンで経過をみて天寿を全うすることもあるそうです。
左肺尖部は3-4年前からあるスリガラス陰影で、小さく変わらないため経過観察になっています。
これらの陰影は胸部XPでは確認できません。
充実生が発達していないためでしょうが、炎症性変化との鑑別は、陰影の変化を見ないと難しいそうです。
癌という生き物の実態を身を以て体験出来ています。
人間ドックや経過観察の重要性を改めて実感しました。
文面からは、肺内転移ではなく多発原発癌の可能性が高い事や、いずれも上皮内がんでステージは0と判断されている事などの情報が得られた他、
父が現役の医師として、ある意味プライドを持って自身の病気と向き合っており、私が余計な心配をする必要はなさそうだという印象を受けました。
私は母親に父とのやり取りとそれを元にした父の病期についての私の解釈を話し、心配なさそうだと伝えました。
母は、
「先生の話を聞いて不安だったけど、あなたが居てくれてよかった。安心した。」
と答えました。
医者としての父の価値観
退院時のムンテラに私もZoomで参加させてほしいとお願いしたのですが、父からは、
「主治医の先生とはこれから長い付き合いになるので、悪い印象を与えたくない」
という理由で断られました。
私は以前、父の事を盲信する母が
「お父さんが言ってたんだけど、患者さんの中には最近インターネットとかで調べてきて色々質問してくる人が増えてきて困るんだって。
お父さんはしっかり治療してくれるんだから、ちゃんとお父さんを信用して任せてくれたらいいのにね。」
という内容を私と妹に話し、妹は
「え、そんな事を考える医者って、今の時代ダメなんじゃ……」
と困惑していた事を思い出しました。
私の実家は九州の地方都市にあり、その地域では医者を必要以上に敬い、あまり質問や意見をしたりするのは失礼にあたる、というような風習が残っています。
寡黙で職人気質の父には、そのような環境の方が働きやすいのかもしれません。
結局、今回私にはあまり出る幕はなく、退院時のムンテラの詳細も後で父から聞くことになりました。
父とのやり取りを受けて再認識したこと
私は物心ついた頃から医者になりたいと思っていましたが、それは自分の尊敬する父がその職業を選択していたから、という事が主な理由でした。
大学に入るまではずっと父と同じ循環器内科医になるつもりでいましたが、医学を勉強するうちに管腔臓器よりも実質臓器の方に興味を惹かれるようになり、
その中でも脳の仕組みを勉強することに最も魅力を感じ、最終的に脳神経内科の道に進む事を決めました。
その直前、父は大学病院を辞めて開業しました。
両親は、できれば私にその医院を継いでほしいと思っていたようでしたが、
私はそのまま地元を離れ、脳神経内科医としてのトレーニングを受けるために急性期病院で働き、大学院に進学し、アメリカまできてしまいました。
主人の事もあるので、おそらくこの先のキャリアとして父の医院を継ぐ可能性は低そうに思います。
進む道も、医者としての価値観も、父と私とで多少の相違はありますが、
やはり私の中では、唯一無二の実父として、偉大な先輩の一人として、いつまでも尊敬しています。