昨年は、自分の視野が狭まったり広がったりするのを自覚する1年だったように思います。
一昨年秋に帰国し、しばらくは日本の分化や作法の感覚を取り戻すのに苦労しました。
というか、その感覚を取り戻す事に抵抗を感じていた、というべきかもしれません。
組織の一部として、周囲の雰囲気を乱さないよう、私は毎日気を張って過ごしていました。
アメリカのラボの同僚や上司の、心からの応援や強いサポートはここにはなく、
ここでの信頼関係を、一から(というかマイナスから)、静かに、時間をかけて構築していかなければなりません。
覚悟をして帰国したはずではありましたが、その覚悟も折れるほどの、強い息苦しさを覚えました。
当時の投稿を読み返しても、やはり「悲観的だったなー。」と思います。
私は今まで、自分の考え方や行動の工夫次第で、衣食住さえ足りてさえいれば、どんなところでも生きていけるんじゃないかと思っていました。 けれども最近、そうでもないようにも思えてきました。 魚が陸の上で生きられな …
けれどもある時期からだんだんと、「海は海で広い。ここで泳がなければもったいない。」と思えるようになりました。
そのきっかけになってくれた出来事等について、いくつか考察します。
学会参加
昨年5月ごろからいくつかの学会に参加するようになりましたが、そこで多くの方々から声をかけていただきました。
私が発表する事を知って、会場に聴きににきてくれた事、
日記のつもりで始めたこのブログを読み、好意的に捉えてくれていた事、
私と色々なテーマについてディスカッションをしたいと思ってくれていた事、
皆さんの言葉の一つ一つによって、私は「もう一度呼吸をしてみようか」と思うようになりました。
本当にありがとうございます。
アメリカラボPIの訪日
「今度日本で開催される国際学会のシンポジウムに、先生の留学先ラボのPIさんに来てもらえませんか?」
そう打診された時、私は最初、気が重く感じました。
―― 私の今後のキャリア形成について、自分の事のように考え、あれほど一生懸命アドバイスしてくれた彼女が、今の燻っている私を見たらどう思うだろうか?
しかも彼女は高齢ですし、あまり人の依頼で動いてくれるような人にも見えません。
けれども、とりあえず送ってみたメールに、彼女はすぐに返してくれました。
I am happy to accept your invitation to speak at the international symposium to be held in ....
驚きました。
―― 本当に彼女が来てくれるの?
ノーベル賞に最も近い科学者の一人と言われる彼女の訪日の知らせに、周囲はざわめき、そこから怒涛の準備が始まりました。
私も、折角15時間以上かけて海を超えて来てくれるのだから、「日本に来て良かった。」と心から思ってもらえるように、できる限りの準備をしようと思いました。
子供好きな彼女は、私達の3人の子供の事も最後まで気にしていたので、当日は自宅に招待して、夕食と子供達からの催し物も計画しました。
そして、彼女の訪日。
様々なハプニングはありましたが、彼女には今回の滞在をかなり満足してもらえたんじゃないかと思います。
そして驚くべき事に、彼女の方も、私のために色々と行動してくれていました。
「この間、別の国際学会で日本の先生に会ったから、あなたが fabulous だって伝えといたからね!」
「このラボ見学の後、今度あなたの上司になる人と話す時間はとれるかしら?あなたの今後についてどんな風に考えているか、聞いておきたいと思うの。私の気持ちも伝えるつもり。」
日本に来てまで徹底してサポートしようとしてくれている彼女に、私は深く感謝しました。
そして、
「多少人に疎まれる事になっても、凹まず、積極的に行動していこう。そしていつか、彼女に良い報告ができるようになろう。」
と、改めて思いました。
異動
去年の秋にテニュアポストに就き、今後ポストや研究場所の心配はなくなりました。
また別の研究施設の協力研究員にもなり、施設のリソースを使わせていただける事になりました。
先日、施設の見学と共同研究の相談を兼ねてセミナーを開催していただきましたが、発表の途中にも多くの質問を受け、アメリカのラボミーティングの時のような充実したディスカッションが繰り広げられました。質問の「質」という点では、アメリカのラボミーティング以上だったようにも感じました。
またその施設には、他施設の追随を許さない専門の機材や技術がそろっており、施設長さんからは、「この施設をうまく使って、いい研究が出来るようお願いします。」とコメントされました。
新たに就任したラボはまだ立ち上がったばかりで、何もかもこれからセットアップする必要があります。
しかしそれはとてもやり甲斐があり、少なくとも私個人の研究環境としては申し分のない環境を提供していただいているように思います。
逆にいうと、この環境でいい仕事ができなければ、それは私個人の能力不足以外の何者でもない、という気持ちにもなります。
これまでお世話になった人達、今お世話になっている人達、そしてこれからお世話になる人達の御恩に報いる事ができるような、いい仕事をしていきたいです。
家族
仕事上の人達からの支えもそうですが、毎日を共に過ごす家族、中でも主人からの支えは一際大きく感じます。
「僕も君も、これから独立したポストを得るためには、多少遠いところでも候補に入れる必要がある。週末に帰ってこられるくらいの距離だったら許容範囲と考えて、お互いのポストを探そう。」
と言って、彼は良さそうな求人を見つけると、毎回私に教えてくれていました。
今回のポストを見つけ、私に応募を勧めてくれたのも彼でした。
新しい職場は自宅から2時間弱かかるため、私は今、朝は家族の誰よりも早く家を出て、帰りはだいたい最後になります。
そのため、朝食の用意や後片付け、子供達の送り出しなどは、一切彼が引き受けてくれています。
協力研究員となった施設はさらに離れており、そこに行く時は数日家を空ける事になりますが、その間の家の事もほとんど彼が引受けてくれました。
以前アメリカに残りたいと彼にお願いした時は断られましたが、その選択以上の研究ができるようにと常に考えてくれているように思います。
また子供達も、遅くなった私の帰宅時間に合わせてご飯を炊いてくれていたり、お風呂掃除をしてくれたりと、色々と家の仕事を分担してくれるようになりました。
家族の笑顔を、家族全員で支えてくれているように思います。
感謝
こうしていくつか思い返すだけでも、私は人に恵まれている、と改めて思います。
私自身はとても小さく、弱い人間ですが、多くの方々のおかげでここまでやってこれました。
歳を重ねる毎にその気持ちは膨らみ、皆さんには感謝してもしきれないと感じています。
これからの毎日で少しでもお返しできるよう、そして、私と私の周りの人達が、笑顔を絶やさず過ごしていけるよう、日々精進していきたいです。
今年もよろしくお願いします。
2024年1月