アポロ11号月面着陸

50年前の7月20日、アポロ11号が月に降り立ち、船長のニール・アームストロングが月面に最初の一歩を踏み下ろしました。

人類初の月面着陸50周年という事で、毎朝聴いている宇宙をテーマにしたラジオ番組では、最近、これに関連した話題が多く流れています。

先月、NYの科学博物館に遊びに行った時にも、アポロ11号をテーマにしたドキュメント映画が上映されていました。

子供達にはまだ少し難かったようですが、私個人としては、とても印象深い内容でした。

 

そのドキュメント映画は、宇宙船内部の様子と、地球上から見守るミッションセンターでの様子が交互に登場する、という構成になっていました。

飛行船内からみた宇宙の景色や、船員たちの会話などのシーンが流れ、月着陸船「イーグル」号が月に着陸、ニールが月面に降り立ちました。

その間、米テキサス州のミッションコントロールセンターでは、大勢の人達が彼らのミッションの成功を固唾をのんで見守っていました。

彼らの前には、当時最先端と思われるコンピューターが並んでいます。

 

私は、そのミッションコントロールセンターの様子を見ながら、以前どこかで聞いた話を思い出しました。

「アポロ11号が月面着陸したときに使用されていたコンピューターの性能は、その後発売されたファミコンよりも低いものだった。」

という話です。

 

飛行船の位置や軌道計算などの制御機能と家庭用ファミコンの性能を単純比較するのは難しいかもしれないですが、少し調べた所、少なくとも現在流通しているPCやゲーム機とは比べ物にならないほど性能が低かったようです。

その話を聞いた時はそれ以上考えなかったのですが、今回、ミッションセンターの様子を見ながら、ある考えが頭をよぎりました。

「確かに、ここにたくさん並んでいる機器達より、今私達が使用しているPC等の機器の方が性能がよさそうだ。

当時は最先端の機器達だったかもしれないが、これらの機器だけを頼って、人を月まで送り、安全に帰還させるのは、かなり難しいミッションだったように思う。

では、そこに必要とされていた+αは何だったのだろうか。」

 

それは、それぞれのコンピューターの前に座ってる人間、その周りでサポートに徹している人間、全ての人達の頭脳だったのではないかと思いました。

今、毎日のようにPCの前に座り、色々な作業をしていますが、私にはこの映画に移っている黒画面に緑文字のコンピューター達を動かせる気は到底しません。

 

自分の家に始めてPCがやってきた時、私は小学校に上がるちょっと前の頃でした。

コンピューターのディスプレイはブラウン管で、本体を起動させるときには、まずAドライブにシステムディスクを入れ、それが立ち上がってからBドライブにソフトのフロッピーディスクを入れていました。

AドライブからBドライブまでの待ち時間がとても長く感じていたのを覚えています。

 

今では、このA, Bドライブは本体から消え、ボタンを一つ押せばPCが起動します。

ソフトも、その頃遊んでいたソフトとは比べ物にならないほど進化し、そこまでの知識がなくても、だれでも簡単に画像処理や表計算などができるようになりました。

人工知能(AI)という言葉がでてきたかなと思っていたら、数年後には驚くほど成長し、チェス、将棋、囲碁などで、次々と人間を負かすようになりました。

メールでは、返信欄にGメールが簡単な返事を考えて提供してくれるようになりましたし、スマホに「明日は暑くなる?」と聞けば、実際の天気予報を元に、過ごしやすいかどうか考えて教えてくれるようになりました。

 

今まで人間が考えていた事を、機械が考えてくれるようになり、こちら側の負担はどんどん少なくなってきました。

それと対応して、今まで人間が行ってきた仕事内容も機械ができるようになり、人件費のかかる人間の需要が減って、数十年後には約半数の職業が機械に置き換わると言われています。

 

では、機械よりも人間の方が得意とする分野はなんでしょうか?

機械にできる事は機械にまかせ、私達は、機械が不得手としている分野の能力を磨いた方がよさそうです。

 

答えは人によって様々だとは思いますが、「創造性」は、今のところ機械より人間の方が勝ると言われています。

 

この分野に関してもAIが凄い勢いで追いかけてきていますが、人間の方の可能性も未知なので、しばらくの間は人間の能力の方が求められる日々が続くでしょう。

その為に、私達はこれから、「How」よりも「Why」の考え方を身に着け、自分のものにしていく必要があると思います。

機械の性能が悪かった頃に「How」に使っていた人類の頭脳を、「Why」の方に転換させ、その能力を磨いていかねばなりません。

 

……と、口でいうのは簡単ですが、頭ではそう思っていても、実際にそれを磨いていけるかどうか、自分の意志だけではとても難しいと日々痛感します。

 

やはりそこは「教育」が鍵なのではないでしょうか。

大人と言われる年齢になって、「教育」がいかに大切な事かを考えるようになりました。

 

「Why」の力を伸ばす教育。

 

頭の柔らかい子供達や若い人達は、周囲の大人たちの考えに容易に影響を受けます。

大人たちの意識のある方向に、彼らの意識も向くのです。

自分達の考えが固まるまでのこの時期に、彼らが「Why」の重要性を認識し、自然と培っていけるような社会を作っていきたいなー

……と考える、今日この頃でした。

Millions say the apple fell but Newton was the one to ask why.
— Bernard M. Baruch (1870-1965) 何百万人もの人がりんごが落ちたというが、なぜかと尋ねたのはニュートンだけだった。
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